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telealias

 ニワトリだって空を飛べる。

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2009-12-26(Sat)

言葉と表現 #4

 タイトルの話の前に、前回、文の結びについての話を書いた。
 そんなわけで、そういう話を書きたいなと思う。

 文の結びというのは、むしろ英語の文などを読むとすごくだいじだなと実感する。英語は、基本的には文頭はだいたい決まっているのだ。けれども、文の終わりは自由度が高い。英語の文でいちばん遊びを入れられるのは、もしかすると文末なんじゃなかろうか、と英詩や英詞を読むと、そう思うなー。まぁ、英語にもいろいろなレトリックがあり、日本語にはない独特のリズムの遊びがあるので、それだけだとはいえないと思うけど、さておき。
 日本語はどうだろう。
 逆に日本語は、文末の形が基本的には一定だ。動詞で終わるか、形容詞で終わるか、終助詞で終わるか。動詞は活用したって、助動詞がくっつくくらいになってくる。しかし実際にはもっとあって、それは前回も話したとおりである。
 基本を崩すことが修辞になる、というのは、つまり変わったことをやるということ自体が、そこを特徴付けて目立たせる、強調効果になる、ってことだ。加えて、省略なんかでは本来は続くはずのところをあえて切るわけだから、なんともいえない余韻を生んだりする。ひとつずつ、その効果を見ていきたい。

・体言止め
 まずは定番から。
「体言」、というのは日本語の文法で使われる言葉で、名詞のことを指す。「連体」というのは名詞を修飾することだ。動詞や形容詞なんかのことを逆に「用言」なんて言ったりするし、これを修飾することは「連用」なんて言ったりする。
 で、体言止めって結局何かというと、名詞で終わる文のことだ。
 例を出す。いつもどおり、青い鳥を教材にしたい。

 ***

「……散々な目に遭ったよ」
「ついてこない、という選択肢もあった」
「……そりゃ、その」
 長谷川はなぜかうろたえた。首を傾げる。
「ははは」
 そんな様子を見てか、マスターが屈託なく笑いながら、やってきた。手には、盆。盆には、グラスが二つ。
「お嬢さんはなかなかいじわるだね。あまり男の子をいじめるものではないよ」
「そういうつもりじゃ、ありません」

 ***

「手には、盆」が、体言止めである。「~がある」と続くべきところで、そうしていないのは、その次に「盆」とあるから。一般的には体言止めは余韻を生むために使われることが多いが、このように次の文の頭に重ねるようにすると、独特のリズム感が生まれると思う。小気味よいステップ感、というか。
 もうひとつの効果として、体言止めは、その名詞を強調する。この場合は「盆」に意識が集中している感じになる。もちろん、ここで意識が集中するからこそ、次の主語に重ねて、文がスムーズに繋げられるわけだ。

 ネタはあんまり多くないので、今回はこれくらいにしておく。次は連用止め、連体止めの話ができたらいいな。

 余談。

 修辞にばかりとらわれていると中身が希薄になるのではないか、とはよく聞くし、わざわざわかりにくくすることに意味があるのか、と言われたこともある。けれども中身を本当に理解しなければ、修辞を使うことなんてできないと思ってる。修辞が使えるってことは、中身を理解してるってことだ。そしてあらゆる言葉に意味がある以上、修辞を使うことに意味がないわけがない。
 だから、ここでは気にせず修辞の話をしていきたい。そんなエクスキューズで今回の話はおしまい。

related: ことば

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