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telealias

 ニワトリだって空を飛べる。

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2009-12-16(Wed)

言葉と表現 #1

 何を書いたものか、迷う。

 ゆえっちのように環境を公開するのもいいのだけど、べつだん変わった環境を使っているわけでもないので、これといって取り上げることがない。TeXを使った原稿作成の話なんかはそれなりに面白いかもしれない。でもじっさいTeXを使っているひとはどれくらいいるのか、はたしてTeXという単語を知っているひとは? そもそもTeXということばを読めるだろうか、ということも、あったりする。まぁ、それでも機会があればやってもいいかもしれない。

 せっかく物書き志望なんで、物書きにちなんだ話でも。
 ぼくは、読んでもらえばわかるとおり、たびたびひらがなを使う。ふだんの文ではひらがなを多用するし、最近は作品にもそういう傾向が出てきてるかもしれない。もちろんそれは作風との兼ね合いがあるので、必ずしもひらがなにしているわけでもないのだけど……。
 もしかすると違和感を感じているひともいるかもしれない。自分でもとくに決まりをもうけてやっているわけじゃないし。場合によっては、表記ゆれがあったりすることも、まぁ、場合によってはというか、よくあるだろう。

 この記事の頭からひとつずつ見てみよう。

・べつだん変わった...
 別段変わった...でもかまわないのだけど、ぼくの場合、次に漢字が続くときは、あえてひらがなにすることがよくある、らしい。

・じっさいTeXを...
 実際TeXを...のほうがより自然な感じはする。しかし「実際」という言葉は強調の言葉なのだ。これをたった二文字で書くのはもったいない。より一音一音をじっくり読むのはひらがななので、こちらのほうがより「じっさい」感が強いのではないか。
 そうでもないか。しかしふつうに書くよりはたぶん印象に残るはず。
「ことば」も同様。

・はたしてTeXという...
 ぼくは基本的には副詞全般で漢字を使わない。変換のコストが軽いし、こちらのほうが慣れているから、無理に漢字にして表記ゆれをまねくよりはいいかなと思ってる。
 以降の「たびたび」なども同じ。

・ひと
 ひらがなは基本的にはやわらかい印象を持っているので、有機的なイメージを持たせたいときはよくひらがなを使う。「ゆれ」も、ひらがなのほうが曖昧な感じがする。

・ふだん
 ふだんやふつうなどは漢字で書かざる方が、より平易になるので、ふつうっぽくなる気がしている。上で強調のために使っているのとは逆。

・ぼく
 SFを読むようになってのち、「僕」と書かなくなった。「おれ」も同様で、おそらくは筒井康孝リスペクトをリスペクトしているのだろうと思う。というのも、じつはぼくは筒井康孝作品をそれほどたくさん読んだわけではなく、言うまでもなく、その影響を受けた作品を読んだ数の方が多い、から。

 さて、ここまで見たところで、ひらがなを多用する傾向みたいなものはちょっと見えたかなと思う。
 うーん。
 たとえば、桜庭一樹の作品などは、そのひらがなの使い方はひじょうに独特で、みずみずしさがある。ひらがながなせる彩というか、おそらく同じ感覚をえられる作風はそうはないんじゃないかと、思ってる。

 いっぽうで、ぼくは漢字も好きだ。
 それは、もしかしたらぼくが以前書いた作品を読んでもらったら、なんとなく分かってもらえるのかもしれない。朱儒文楽草子なんかはとくに顕著で、自分でもわかるくらいによく漢字が出てくるし、それは意図的にそうしてる。
 それは漢字の持つ堅さや厳格さをぼくが好きだからだ。漢字はひらがなと違って曖昧ではなく、その言葉が持つ意味はひらがなよりもずっと限定的だ。だからこそ、ひらがなと漢字とはべつべつに使ってるし、そうする意味があると思ってる。

 この日記で勘違いしてほしくないのは、つまりそこだ。
 ぼくはひらがな信奉者ではないし、もちろん逆でもない。
 ぼくの過去の特定の作品だけを読むと不用意に漢字を多用する人のように見えるかもしれない。日記だけを読んでいる人には、極端なひらがな推進派のように見えるかもしれない。
 しかしそれは違う。
 作品と作者の意図と、作者自身の心情とは、必ずしも等号で結ばれるものじゃないからだ。
 だってそうじゃない。
 ぼくらは、作品は作るけれど、作品の登場人物らは、ぼくらとは違う別の個なんだから。

 ……もちろん、こんなことを書かなくたって、そんなことはわかっている、というひとも、少なからずいるだろうと思うし、そういうひとにとっては失礼な文かもしれないのだけど。

related: ことば

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